– INTERVIEW 03
希望が見えるから粘り強くなれるのではなく、
粘り強く続けるから希望が見えるのです
KIN TETSU金 哲
COO
私は中国東北地域の小さな都市で生まれました。
生まれてから13歳までは他の子供たちのように平凡な子供時代を過ごしました。
そうした1998年の冬、私の人生を完全に変える出来事が発生しました。
その日は歯医者で抜歯して家に帰りました。
すると3日後から急に熱が出始めなかなか治りません。
受診した医師たちは風邪だと診断し注射を打ちましたが熱が下がりません。
そうして5日後、熱が40度まで上がり、状態はさらに悪化しついに全身に水泡ができ、昏睡状態に陥りました。
その時、全ての医師たちは私を救えないかも知れないと言いましたが、私の両親は最後まで諦めずに一晩中休まず私の面倒を見てくれました。
3日間の昏睡状態の末、危険な峠は越えましたが、激しい高熱によって目の粘膜と角膜が損傷を受ける重度の後遺症が残りました。
退院をした後も後遺症で学校もまともに通えなくなり、1年間休学をしました。
しかしながら私はその時、幼いながら一年で完治すると思っていました。
しかし、目は思ったほど良くなりません。
一年後、私は痛い目を我慢しながら中学校に通いました。
そして一年の遅れを取り戻す為に他の人の2倍勉強をして全学年上位の成績を維持しました。
そんな私の頑張りを先生方や友達が認めてくれて生徒会長に選ばれました。
これは私にとって数少ない良い思い出です。
目の状態は悪いままでしたが、私の祖父が医者だった為、私も医者を目指し難関校である延辺第一高校に入学しました。
しかし、人生はもう一度私に大きな試練を与えます。
高校3年生になった年、急激に目の状態が悪化し、正常に授業が受けれなくなったのです。
その結果、また一年を休学することになり、成績もかなり劣りました。
私自身、正常な中高生活ができなかったですが人生に後悔を残したくないという思いの中で医科大学入試試験にチャレンジし、幸運にも合格することができました。
しかしながらここでもまた目の状態が更に悪化した為、入学を諦めなければならなくなったのです。
今振り返ればこの時が私にとって心身最悪の状況だったと思います。
落ち込んでいた私ですが、それでも人生を諦めたくなかったので再び本を握り、勉強を始め、医学院の教授たちの指導を受けて中医学の大学に入学しました。
その後は私の様な病気の人たちの苦痛を治療できる中医学の先生を目指し日夜勉強に没頭しました。
そして目の悪い私でも今後一人でも生きていける方法を探す為にマーケティングの勉強も一緒に学んでいきました。
中医学の勉強を終えた私は、企業管理会社に就職し、その間積んできた知識を職場に応用し、会社の規模拡大に貢献しました。
目だけが痛い健康な人になるために
そんな中、知り合いからネットワークビジネスの話が舞い込んできました。
将来自立しなければいけないと日々思っていた私は、このチャンスを目が痛くてできないのではなく、目が痛いからこそやるしかないと決断し、これまで築いてきたマーケティング経験をもとに、約2000人の組織作りに成功し、トップリーダーとして活躍する事ができました。
私の様に病気の人たちもできるということを見せたかった!
そして病気を持ってる人たちの力になる人になりたかった!
目だけが痛い健康な人になるために一生懸命運動もし、健全な身体も作ってきました。
健康が第一で、残りのすべてがおまけです
健康でなければ、おまけを楽しむことはできません
チャンスというのは諦めずに熱心に走る者に与える贈り物でもあります。
2023年、私は株式会社スリーピースに出会いました。
フコイダンDX単一製品で17年間会社を成長させた創業者糟谷会長から「素敵な大人になろう」というお言葉に惹かれました。
スリーピースは健康をもとに、スリーピース会員とその家族、友人の皆さんに楽しさと価値を分かち合う事業です。
人によって重要視するポイントは様々ですが、唯一皆が関心を持っている分野はまさに自分の健康です。
健康が第一で、残りのすべてがおまけです。
健康でなければ、おまけを楽しむことはできません。
私は長い間、病気がちで家族に多くの心配と負担を与えました。
その恩返しとしてスリーピースに関わる多くの方々へ幸せと楽しさをサポートしていきます。
国境を越えるスリーピースワールドを存分にご期待ください
今スリーピースは日本、中国、韓国とグローバルに展開しようとしています。
「心身の平和」
「経済の平和」
「社会の平和」
日本でスタートしたスリーピースの3つの平和。
私の長所でもある医学の知識と4か国語の語学力でアジア全域に拡げていきます。
国境を越えるスリーピースワールドを存分にご期待下さい。
心はいつもスリーピース